このブログの扱いをどうしようか・・・と、悩むとなく考えでいたのだけど、紀某さんおように、そこはかとないよしなしごとを綴る場として、心の垢が溜まったときに更新をしようか、と、思う所存。
まぁ要するに、鬱転時の心情記録のようなものになりそうだ。というか、すでにそうなっているのだろうなぁ・・・。
さて、喜ばしいことに久々の更新だ。(たぶん、おそろく、願わくば。)
前回は7月の頭で、特段、メランコリックだったわけではなく、大量インプットしたものをアウトプットしたかっただけで、しかしながら、それもままならず消化不良に終わった感がある。それはそれで、善し悪しもへったくれもない。なにしろ、よしなしごとだから。今日の自己評価ブームほど、人々の心を固く、縮めているものである。
ひきだしにねこ。-eine katze in der schublade -
the blog for life episodes of a japanese named MOMO.
2013年7月27日土曜日
2013年7月1日月曜日
アフリカ旅行と神戸と比叡山
東アフリカなど(ルワンダ→ウガンダ→ケニア+カタール)3週間の旅を終え、東京へ帰国。
そして、その4日後に関西は神戸へ。
神戸は地元、というほどではないが、古巣のような場所です。まもなくヨーロッパへ旅立つ友人に会いに行きました。
1人はスペインへ、一人はドイツへ。
送る側になるのは、なんだか新鮮な心地がした。
帰りのフライトの中で「あー・・・私の旅は終わったなぁー・・・」という達成感に似た虚脱に見舞われて、ぼーっとしながら、窓をのぞいたら、飛行機の翼の淵が朝日に縁取られ輝いていた。
深夜に、カタールを飛び立った飛行機は、夜明けに向けて突き進んでいた。
日の本、ニッポンかー、と自然の演出に口が開く。
成田空港に降り立って、脳裏に浮かんだのは「うどん」だった。
とにかく、うどんが食べたいと思い、到着ゲートから出発ゲートへ駆け上がった。そば屋はあれど、うどんを扱っておらず、寿司屋や洋食屋をしり目に私は「うどん・・・うどん・・・うどん・・・」と小声で口走る、成田の奇人と化していた。
ようやく念願の食事を終え、改めて、自分の周りを眺めながら、目がかすんだ。
それほど東アフリカ滞在が辛かった、というわけではなく、目が痛かった・・・まぶしい。カタールも清潔で夜景の輝く街ではあったけど、ここまでの光量ではなかった気がする。むべなるなかな、アフリカ滞在に慣れた私の身体には、いささか萎縮するエネルギーだった。
その後、成田からバスで都内へ向かう。首都高を舞浜から入り、板橋方面へ斜めに横断する形で、夜の東京を滑るように進む。
「揺れない・・・なんて静かな走行なんだ・・・。」と、とうとう目頭を押さえた。
さて、件の東アフリカ紀行、滞在先で先の記事を書いたのだが、読み返してみると、当時の私の狼狽が見て取れる。ので、一度、引っ込めた。
スマートフォンから投稿したので、レイアウト的な諸課題も含め、修正してからまた再掲しようと思う。(いつになることやら。。。)
その後、2週間の滞在を経て、その間にショッキングな出来事は数あれど、今はその体感は、既に薄くなっている。
そんなもんだな、人間なんて・・・。
「諦め」という言葉を「悟り」と読む、その心は仏教だと、先日の比叡山延暦寺での修行体験で知った。
諦めることぐらいで、悟りだというのなら、私はもう、後光が輝いてるわ・・・!と、いうツッコミを喉元でぐっとこらえた。
神戸では知人に会い、故知に挨拶し、お気に入りの場所やカフェを渡り歩いた。
インドから一時帰国している友人と一緒に、神戸グルメに舌鼓をうち、そして共に比叡山に登った。
比叡山では、もちろん、食の楽しみ、など存在しない。
いや、精進料理は味がとても良く、本当に美味だったんですが、「食堂では一切の音声を禁じ」られているので、私語は無論、箸や食器、咀嚼音なども出さないように気を使い、かつ、「迅速に」すませねばならない。
食事に感謝することが絶対であり、美味いも不味いもない。カスも残さないように、たくわんとお茶でお椀を洗う「洗鉢」の作法など、かなりの異文化体験だった。(個人的に、お椀にお茶を入れて飲むのは、抵抗があった・・・。)
ひとつひとつ、振り返って、綴りたい気持ちはあれど、長旅と移動で体調が優れないので、この辺で。
とりあえず、体力と筋力をつけなくては・・・。(筋肉痛の身体をさすりつつ)
そして、その4日後に関西は神戸へ。
神戸は地元、というほどではないが、古巣のような場所です。まもなくヨーロッパへ旅立つ友人に会いに行きました。
1人はスペインへ、一人はドイツへ。
送る側になるのは、なんだか新鮮な心地がした。
帰りのフライトの中で「あー・・・私の旅は終わったなぁー・・・」という達成感に似た虚脱に見舞われて、ぼーっとしながら、窓をのぞいたら、飛行機の翼の淵が朝日に縁取られ輝いていた。
深夜に、カタールを飛び立った飛行機は、夜明けに向けて突き進んでいた。
日の本、ニッポンかー、と自然の演出に口が開く。
成田空港に降り立って、脳裏に浮かんだのは「うどん」だった。
とにかく、うどんが食べたいと思い、到着ゲートから出発ゲートへ駆け上がった。そば屋はあれど、うどんを扱っておらず、寿司屋や洋食屋をしり目に私は「うどん・・・うどん・・・うどん・・・」と小声で口走る、成田の奇人と化していた。
ようやく念願の食事を終え、改めて、自分の周りを眺めながら、目がかすんだ。
それほど東アフリカ滞在が辛かった、というわけではなく、目が痛かった・・・まぶしい。カタールも清潔で夜景の輝く街ではあったけど、ここまでの光量ではなかった気がする。むべなるなかな、アフリカ滞在に慣れた私の身体には、いささか萎縮するエネルギーだった。
その後、成田からバスで都内へ向かう。首都高を舞浜から入り、板橋方面へ斜めに横断する形で、夜の東京を滑るように進む。
「揺れない・・・なんて静かな走行なんだ・・・。」と、とうとう目頭を押さえた。
さて、件の東アフリカ紀行、滞在先で先の記事を書いたのだが、読み返してみると、当時の私の狼狽が見て取れる。ので、一度、引っ込めた。
スマートフォンから投稿したので、レイアウト的な諸課題も含め、修正してからまた再掲しようと思う。(いつになることやら。。。)
その後、2週間の滞在を経て、その間にショッキングな出来事は数あれど、今はその体感は、既に薄くなっている。
そんなもんだな、人間なんて・・・。
「諦め」という言葉を「悟り」と読む、その心は仏教だと、先日の比叡山延暦寺での修行体験で知った。
諦めることぐらいで、悟りだというのなら、私はもう、後光が輝いてるわ・・・!と、いうツッコミを喉元でぐっとこらえた。
神戸では知人に会い、故知に挨拶し、お気に入りの場所やカフェを渡り歩いた。
インドから一時帰国している友人と一緒に、神戸グルメに舌鼓をうち、そして共に比叡山に登った。
比叡山では、もちろん、食の楽しみ、など存在しない。
いや、精進料理は味がとても良く、本当に美味だったんですが、「食堂では一切の音声を禁じ」られているので、私語は無論、箸や食器、咀嚼音なども出さないように気を使い、かつ、「迅速に」すませねばならない。
食事に感謝することが絶対であり、美味いも不味いもない。カスも残さないように、たくわんとお茶でお椀を洗う「洗鉢」の作法など、かなりの異文化体験だった。(個人的に、お椀にお茶を入れて飲むのは、抵抗があった・・・。)
ひとつひとつ、振り返って、綴りたい気持ちはあれど、長旅と移動で体調が優れないので、この辺で。
とりあえず、体力と筋力をつけなくては・・・。(筋肉痛の身体をさすりつつ)
2013年5月26日日曜日
アフリカ行くってまじですよ。
先日、歯医者の受付にて
「あのー、黄熱病の予防接種したんですけど、あの、接種してから1ヶ月以内に病院に行ったら先生に接種したことを伝えてくださいってことなので、一応、ご連絡します。」
と申告したところ、
「えっと黄熱・・・黄色い熱の方?」
「はい。あ、アフリカ行くんで。」
「ア、アフリカっ?!笑」
と、吹き出されてしまいました。
23年と2ヶ月生きてきて、11カ国歩いた平成2年のゆとり世代の一人は、12カ国目に東アフリカに行くらしい。
2013年5月28日から。つまり、明後日から。まだ実感がない。
「あのー、黄熱病の予防接種したんですけど、あの、接種してから1ヶ月以内に病院に行ったら先生に接種したことを伝えてくださいってことなので、一応、ご連絡します。」
と申告したところ、
「えっと黄熱・・・黄色い熱の方?」
「はい。あ、アフリカ行くんで。」
「ア、アフリカっ?!笑」
と、吹き出されてしまいました。
23年と2ヶ月生きてきて、11カ国歩いた平成2年のゆとり世代の一人は、12カ国目に東アフリカに行くらしい。
2013年5月28日から。つまり、明後日から。まだ実感がない。
2013年5月17日金曜日
140字にも収められずタイムラインに放流できないそれとこれとあれら
ブログの一番最初の書き出しって本当にどうでもいいくらい悩む。
「誰も、こんな頭からさかのぼって、私の文章なんか読みゃしないだろう・・・」
という想いと、
「そもそも1番最初の記事ってこのブログの趣旨とか、コンセプト的なものを書くべきだと思うけど、そんなもの、私の気まぐれでしかないから、どうしよう・・・やはり、読者を確保するには、やはりキャッチーなことを書かなくてはいけないよね?でも、別に読者ほしいとか読んでほしいとか、そんな前のめりな感じじゃなくて、ただ単に作文したいだけで、だったら、自分のノートとかに書いてらいいじゃん、わざわざネットで後悔する必要なくね?・・・そうだな・・うん、ブログいらないかも。」
なんてことを幾度となく逡巡したあげく、facebookやツイッターに逃げて、長文ポスト連投する、なんて無様な姿をさらしてることに終止符を打つべく、ブログを作りました。
という、動機のもと、特に方向性を持たせずにうつらうつら書いていこうと思います。
道は自分の背後に出来るものなのです。
着の身着のまま、心の向くまま、想いもよらぬ大きな地図が描かれているかもしれない。
そんな可能性を背中に感じつつ、歩き綴っていきませう。
「誰も、こんな頭からさかのぼって、私の文章なんか読みゃしないだろう・・・」
という想いと、
「そもそも1番最初の記事ってこのブログの趣旨とか、コンセプト的なものを書くべきだと思うけど、そんなもの、私の気まぐれでしかないから、どうしよう・・・やはり、読者を確保するには、やはりキャッチーなことを書かなくてはいけないよね?でも、別に読者ほしいとか読んでほしいとか、そんな前のめりな感じじゃなくて、ただ単に作文したいだけで、だったら、自分のノートとかに書いてらいいじゃん、わざわざネットで後悔する必要なくね?・・・そうだな・・うん、ブログいらないかも。」
なんてことを幾度となく逡巡したあげく、facebookやツイッターに逃げて、長文ポスト連投する、なんて無様な姿をさらしてることに終止符を打つべく、ブログを作りました。
という、動機のもと、特に方向性を持たせずにうつらうつら書いていこうと思います。
道は自分の背後に出来るものなのです。
着の身着のまま、心の向くまま、想いもよらぬ大きな地図が描かれているかもしれない。
そんな可能性を背中に感じつつ、歩き綴っていきませう。
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